部会の成長期

   昭和40年代始め、それまでなすは畑で作るものでした。
それが、水田転作(米が余ってきたのでお米以外のものを作りましょうというお国の達し)が始まり、水田になすを作ってみることになったわけです。

最初は、水との闘いで、枯らしてしますこともしばしばでした。
それを部会員みんなで工夫をし、試験に取り組み、壁を乗り越えてきました。

また、東京へ出荷するようになったのもその頃です。
東京では長なすを食べる習慣がなかったので、最初は長なすを「お化けなす」と呼ばれ見向きもされなかったのです。それはもう大ショックでした。

しかし、めげずに何度も何度も試食宣伝会を繰り返し行い、長なすの柔らかさや美味しさを少しずつ受け入れてもらいました。
その時、最初に食べてもらったのは九州出身者でした。(その節は大変お世話になりました。)

そんな努力をしながら、長なすの生産量を増やしていきました。