博多なす Q&A  

博多なすのことをもっと知って欲しいから、皆さんのご質問にお答えします!!

産地・瀬高町 編

Q
3. 「瀬高町ではいつ頃から茄子の栽培がはじまったんですか?」


A
 瀬高町でのナス栽培については明治19年に旧柳川藩主 立花花寛によって設立された立花家農事試験場で栽培されていたという記録が残っています。本格的になす栽培が始まったのは昭和37年からです。その前は、きゅうり、トマト、ピーマン、白菜などが栽培されていました。
 
 私たちのような地方の野菜産地が生産を増やすためには、大きな市場が必要でした。日本の人口の1割が住む東京市場への進出は私たちの夢でした。それまでは、長なすの「黒天」という品種を作っていましたが、京浜地区で市場調査したところ、品質の良い中長なすに需要があることがわかりました。
 
 そこで中長なす「金井新交鈴成」という品種を京浜地区に出荷していました。でも本当は九州で昔から栽培されていた長なすを東京市場に送りたかったのです。長なすの生産ではどこにも負けないと思っていましたし、長なすの美味しさをもっと知ってもらいたいとも思っていましたからね。でも当時、東京では長なすを食べる習慣がなかったので、最初は長なすを「お化けなす」と呼ばれ見向きもされなかったのです。それはもう大ショックでした。しかし、めげずに何度も何度も試食宣伝会を繰り返し行い、長なすの柔らかさや美味しさを少しずつ受け入れてもらいました。
 
 今は博多のラーメン、明太子など九州の食文化は、全国でよく知られるようになりましたが当時は大変だったようです。そんな努力をしながら、長なすの生産量を増やしていきました。ちなみに現在の生産量は11,000トンで関東地区の市場占有率では24%、つまり関東地区で出回るナスの4本に1本は瀬高産というシェアを持つまでになりました。



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