
第3回目のThe仕事人は、山下美年さんに,インタビューを行いました。
山下さんはご夫婦で約600坪のなす栽培をされています。
なす栽培をはじめたころの話をお願いします。
田政策(昭和45年度)の始まってね,こっちは水田地帯じゃろが,前はなすあたりは無かったたい,人参てろんね、メロンてろんしょうった。水田の裏作にね。畑はなかもんで。まあ何人かどげんかしゅうかよったら農協のほうでね。
じゃあそのころからなすびが増え出したころでしょ。ちょうど30年前やったら。
ううんまあ2〜3年前(S42〜S43)この辺の何軒かは、しょうらったたい。ずうっと今までしてきて、こなすからね。
は〜最初,こなすやったんですか?
なすば,3年したろ。卵の大きさぐらいしかなかったたい。それにナリヒモ付けてね,ナリヒモば斜に切って並べてだしょったたい。
へーそうゆうのが一番最初だったんですか。
高町の園芸部会もそのやっと長なすと両方でね抱き合わせでずうといきょったたい。関東辺りは長なすが売れんじゃったけん。どげんしったちゃ収入の上がらんめが、そしけん長なす一本にしましょちゅう事で統一して長なすになった。
こなすと長なすと抱き合わせでいきょったけん、長なすちゅとがあるですよちゅうことで,東京の都河岸が販路ば見つけてくれたよ。

なすを作ってて良かったこととか有りますか?
後地区なす技術者協議会て有る中で,平成5年の2月16日に発表会の有ったわけやん。パネリストが7名でね、そのうち瀬高から2名のうちに選ばれて,生産者の技術等の発表会の有った訳たい。
ん時は,ああ−俺も一人前になったばいなと思った。
最後に今後のなす作りの問題点や課題点は,何だと思いますか?
後はあんた達若い者が勉強して,瀬高なすのイメージダウンに成らんごつ、瀬高ナスの若い人達は普及所とタイアップして,危なくない農薬ばつかよりますちゅうてPRしていかやんたい。
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